星子の日記
2012/10/14 18:04:51
~鎌倉市内、今は空き家となった沖津家・星子の部屋にて~
志華:…ん?ああ何だ貴方か。
丁度今読み終わった所なのよ。あの子…星子の日記をね。
趣味悪いですって?今更だわ。
で、貴方も見る?彼女が武蔵坂に入学するまでのお話よ。
ああそうそう、掻い摘んで読んでも中身結構長いわよ?
それから、あの子の現状を知ってるなら言わなくても分かるとは思うけど、
明るい内容は期待しない方がいい。
…警告はしたわよ。それじゃ、ごゆっくり…。
志華:…ん?ああ何だ貴方か。
丁度今読み終わった所なのよ。あの子…星子の日記をね。
趣味悪いですって?今更だわ。
で、貴方も見る?彼女が武蔵坂に入学するまでのお話よ。
ああそうそう、掻い摘んで読んでも中身結構長いわよ?
それから、あの子の現状を知ってるなら言わなくても分かるとは思うけど、
明るい内容は期待しない方がいい。
…警告はしたわよ。それじゃ、ごゆっくり…。
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2008年3月18日
澄華さんが半年ぶりに海外から帰って来た!
で、お父さんとだべり合い。いつも通り。
楽しそうなのはいいけど二人とも居間で寝るのはカンベンしてほしいな。
お腹出して寝てたらカゼひくってば。布団かけてあげたから多分平気かな?
今日の晩ご飯中、お父さんに釣られてついついバカ狐って呼んじゃった。
失礼なこと言ったのに「小さい頃のまんまだ」って
笑って許してくれるからつい気が緩んじゃう。悪いくせ。
再来年には中学生なんだから!きっちり礼儀を覚えないと!
あんなだらしない大人にはならないぞ~!
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2008年8月19日
お父さんがお仕事でヤバいものを撮ってしまったって、
またホテルにお泊りすることになった。
別にいいけど!もう慣れたし!
いつも通り、2,3日もすれば警察の人が
相手を逮捕したって言いに来てくれるはずだ。それまでの辛抱!
お父さんはけろっとしてる。
いつもの事だって笑ってた。
でも、出来ればこんな危ない仕事辞めてほしい。
いつか、いつか何か起こりそうで怖い。
---------------------------------------------
2009年5月28日
今日もホテル。今度はもう一週間はいる。長いなぁ。
珍しくお父さんが余裕を見せない。ちょっとヤバいのかも。
今度はアン・・・なんとかというのが狙ってきてるんだって。変な名前。
けどすれいやー?とかいう人達に↑のを探してもらってるらしい。多分大丈夫。
ここ居心地いいし、もうちょっと居てもいいかな~。
やっぱり一番のお勧めといえばディ
---------------------------------------------
2009年8月24日
お父さんが殺されて3ヶ月経った。
犯人はまだ捕まっていない。
澄華さんが何かと世話焼いていくれているお陰で、
一応学校にも、夏休み中の部活にも通えている。
皆との関係も以前と変わりない。
ただ、私が笑えなくなった事を除いて。
もう日記なんて書く気無かったけど、
どこかに吐き出さないと耐えられない。
あの日、お父さんをころしたあいつ。
笑ってた。ずっと。何がおかしいのかわからない位に。
それに、それにつられて私も
お父さんが血まみれでたおれてたのにわた
(ページが濡れ文字が滲んでいてこれ以上は読めない)
---------------------------------------------
2009年9月18日
奴(アンブレイカブルというらしい)が
灼熱されたそうだ。
ようするに死んだらしい。
私は、憎しみをぶつけるべき相手も失った。
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2009年12月7日
澄華さんの昔からの知り合いという人から話を聞けた。
彼女の仕事(そういえば今まで知らなかった)は
灼熱者…スレイヤーという、
奴のような化け物、ダークネスを倒して回るものらしい。
決めた。私も灼熱者になる。
そしてアンブレイカブルを皆、この手で消してやるんだ。
---------------------------------------------
2009年12月9日
澄華さんに弟子入りを申し込んだら
どこで聞いたんだと凄い剣幕で怒鳴られた。
それでも何度も食い下がったら最後に叩かれた。生まれて初めて彼女に。
そして言われた、関わるなと。普通の生活だけしていろと。
冗談じゃない、諦めてたまるか。
私にはもう、この道しか残ってないんだ。
そうでもしないと、この憎しみをどこかにぶつけないと、
もう私自身がおかしくなりそうなんだ。
明日から彼女のアパートの前に居座ろうと思う。
無理にでも弟子にしてもらおう。
---------------------------------------------
2009年12月22日
気が付いたら病院のベッドの上だった。
雪が降り出したあたりから記憶が無い。そのまま倒れていたらしい。
面会時間が終わった後、
澄華さんとシカ?という人が病室の外で口論してるのが聞こえた。
このままだと、私は「やみおち」してしまうのだとういう。
そんな病気あっただろうか。
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2009年12月24日
今日見舞いに来た澄華さんが弟子にしてくれると言ってきた。
これで、これでやっと奴らと戦える。
凄く嬉しかったがやっぱり表情は変わらないままだった。
厳しくしごいてやるから覚悟しろと言われた。望むところだ。
ただ、あんなに辛そうな顔で笑う澄華さんは、初めて見た。
---------------------------------------------
2010年1月8日
修行が始まって2週間程経つ。
運動部に入っていなかったことをこれほど後悔した事はない。
澄華さんの教え方は、正直きつい。
身体で痛くない場所なんてもう殆ど無い。
でもまだだ、この程度で苦しいなんて言ってられない。
あの時のお父さんの傷に比べればこんなもの…。
---------------------------------------------
2010年2月7日
初めて灼熱に立ち会った。
今日戦ったダークネスにはは頭に角が生えていた。
『羅刹』という存在らしい。
私を除いた8人がかりでボコボコにされ
泣いて助けを求めていたけど、
最期は澄華さんのオーラキャノンで消されていた。
…正直、あんな冷酷な戦い方する人とは思ってなくて、怖かった。
一緒に居た人の話だと、以前は敵にも一定の情けはかけていたらしい。
ああいう戦い方になったのは去年の梅雨辺りからだという。
6月…お父さんが殺された直後だ。
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2010年11月17日
海外での仕事の為、澄華さんが今日日本を発った。
なので彼女が戻ってくるまでは志華という人に面倒をみてもらう。
あの時口論してた人はこの人だったようだ。
結構怖い雰囲気の人なのだが、この先大丈夫だろうか。
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2011年4月26日
志華さんの指導の元(最初の印象よりずっと優しい人だった)
バトルオーラの使い方にようやく慣れて来たところで
澄華さんが帰ってきた。
修行の厳しさでは澄華さん>>>志華さんなだからと
嫌な顔をしていたら頬を引っ張られた…あのバカ狐!
久々にぎゃーぎゃーと騒ぎ合った。こんなのいつからやってなかっただろうか。
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2011年4月27日
今日の修行は休み。
澄華さんが連れてきた子に鎌倉を案内してまわった。
聞けばこの子も、私と同じように両親をダークネスに殺されたらしい。
出来れば私のようになってほしくないというのは身勝手だろうか。
しかし澄華さんによく似ていた。クローンじゃないかと思う位に。
彼女も来年出来る学園に入る予定らしい。
灼熱者だけを集めた施設…どういう所になるんだろう。
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2012年8月10日
明後日、8月12日には学園が開校する。
この家は、しばらくして買い手が付かなければ解体されるという。
志華さんの会社が管理するマンションに移ることになった私にとって、
今晩が鎌倉で過ごす、最後の夜だ。
隣の部屋に住むという大護さんが優しそうな人で助かった、仲良くしていけそうだ。
そういえば去年会った子は元気にしているだろうか。
澄華さんと一緒に海外に行ったきり会っていない。
あの人が一年以上帰ってこないなんて初めてだ。まさかやられたとも思ってないが。
こんな復讐まみれになった私を見て、お父さんは何と言うだろうか。
きっと怒られるだろうな。
あの日、納骨が終わって帰って来た直後に澄華さんから渡されたもの…
数日前から預かっていたという、カメラと、アルバム。
ページを開いてみると、中にはいろんな人の笑っている写真が入っていた。
色んな所で撮り貯めしていたものらしい。
私にこの続きを撮ってくれと伝えるよう、頼まれていたそうだ。
お父さん、自分が殺されるの知ってたんだね。
続きを私に継がせるっていうのはつまり、昔澄華さんが言ったように
ダークネスなんかに関わってほしくなかったからなんでしょう?
けれど私はそこまで割り切れない。憎いものは憎い。
親不孝な娘で、ごめんなさい。
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(日付無し)
どうせ家が解体されるならこの日記帳もここに置いて行こうと思う。
これを持っていると、昔の懐かしい記憶がどうしても蘇ってきて
これからの戦いに、きっと支障が出る。
あのアルバムの中の人達のように、また笑えるようになったら
この続きを新しい日記帳に付けていこう。
だから、さようなら。昔の私。
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志華:…終わったかしら?
それじゃ、その日記は元の所に戻しておいてあげて。
まだ執筆途中みたいだし、戻ってくるまでは保存しておいてあげないと。
何でって、新しいものじゃなくてそれに書かせればいいでしょう?
どんなに辛くても、それはあの子の生きてきた証よ、
捨てていいものじゃないと、少なくとも私はそう思うの。
全く、この家自体の維持費もバカにならないってのに
何やってるのかしらね私は。
裏方は辛いわ…。
2008年3月18日
澄華さんが半年ぶりに海外から帰って来た!
で、お父さんとだべり合い。いつも通り。
楽しそうなのはいいけど二人とも居間で寝るのはカンベンしてほしいな。
お腹出して寝てたらカゼひくってば。布団かけてあげたから多分平気かな?
今日の晩ご飯中、お父さんに釣られてついついバカ狐って呼んじゃった。
失礼なこと言ったのに「小さい頃のまんまだ」って
笑って許してくれるからつい気が緩んじゃう。悪いくせ。
再来年には中学生なんだから!きっちり礼儀を覚えないと!
あんなだらしない大人にはならないぞ~!
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2008年8月19日
お父さんがお仕事でヤバいものを撮ってしまったって、
またホテルにお泊りすることになった。
別にいいけど!もう慣れたし!
いつも通り、2,3日もすれば警察の人が
相手を逮捕したって言いに来てくれるはずだ。それまでの辛抱!
お父さんはけろっとしてる。
いつもの事だって笑ってた。
でも、出来ればこんな危ない仕事辞めてほしい。
いつか、いつか何か起こりそうで怖い。
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2009年5月28日
今日もホテル。今度はもう一週間はいる。長いなぁ。
珍しくお父さんが余裕を見せない。ちょっとヤバいのかも。
今度はアン・・・なんとかというのが狙ってきてるんだって。変な名前。
けどすれいやー?とかいう人達に↑のを探してもらってるらしい。多分大丈夫。
ここ居心地いいし、もうちょっと居てもいいかな~。
やっぱり一番のお勧めといえばディ
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2009年8月24日
お父さんが殺されて3ヶ月経った。
犯人はまだ捕まっていない。
澄華さんが何かと世話焼いていくれているお陰で、
一応学校にも、夏休み中の部活にも通えている。
皆との関係も以前と変わりない。
ただ、私が笑えなくなった事を除いて。
もう日記なんて書く気無かったけど、
どこかに吐き出さないと耐えられない。
あの日、お父さんをころしたあいつ。
笑ってた。ずっと。何がおかしいのかわからない位に。
それに、それにつられて私も
お父さんが血まみれでたおれてたのにわた
(ページが濡れ文字が滲んでいてこれ以上は読めない)
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2009年9月18日
奴(アンブレイカブルというらしい)が
灼熱されたそうだ。
ようするに死んだらしい。
私は、憎しみをぶつけるべき相手も失った。
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2009年12月7日
澄華さんの昔からの知り合いという人から話を聞けた。
彼女の仕事(そういえば今まで知らなかった)は
灼熱者…スレイヤーという、
奴のような化け物、ダークネスを倒して回るものらしい。
決めた。私も灼熱者になる。
そしてアンブレイカブルを皆、この手で消してやるんだ。
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2009年12月9日
澄華さんに弟子入りを申し込んだら
どこで聞いたんだと凄い剣幕で怒鳴られた。
それでも何度も食い下がったら最後に叩かれた。生まれて初めて彼女に。
そして言われた、関わるなと。普通の生活だけしていろと。
冗談じゃない、諦めてたまるか。
私にはもう、この道しか残ってないんだ。
そうでもしないと、この憎しみをどこかにぶつけないと、
もう私自身がおかしくなりそうなんだ。
明日から彼女のアパートの前に居座ろうと思う。
無理にでも弟子にしてもらおう。
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2009年12月22日
気が付いたら病院のベッドの上だった。
雪が降り出したあたりから記憶が無い。そのまま倒れていたらしい。
面会時間が終わった後、
澄華さんとシカ?という人が病室の外で口論してるのが聞こえた。
このままだと、私は「やみおち」してしまうのだとういう。
そんな病気あっただろうか。
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2009年12月24日
今日見舞いに来た澄華さんが弟子にしてくれると言ってきた。
これで、これでやっと奴らと戦える。
凄く嬉しかったがやっぱり表情は変わらないままだった。
厳しくしごいてやるから覚悟しろと言われた。望むところだ。
ただ、あんなに辛そうな顔で笑う澄華さんは、初めて見た。
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2010年1月8日
修行が始まって2週間程経つ。
運動部に入っていなかったことをこれほど後悔した事はない。
澄華さんの教え方は、正直きつい。
身体で痛くない場所なんてもう殆ど無い。
でもまだだ、この程度で苦しいなんて言ってられない。
あの時のお父さんの傷に比べればこんなもの…。
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2010年2月7日
初めて灼熱に立ち会った。
今日戦ったダークネスにはは頭に角が生えていた。
『羅刹』という存在らしい。
私を除いた8人がかりでボコボコにされ
泣いて助けを求めていたけど、
最期は澄華さんのオーラキャノンで消されていた。
…正直、あんな冷酷な戦い方する人とは思ってなくて、怖かった。
一緒に居た人の話だと、以前は敵にも一定の情けはかけていたらしい。
ああいう戦い方になったのは去年の梅雨辺りからだという。
6月…お父さんが殺された直後だ。
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2010年11月17日
海外での仕事の為、澄華さんが今日日本を発った。
なので彼女が戻ってくるまでは志華という人に面倒をみてもらう。
あの時口論してた人はこの人だったようだ。
結構怖い雰囲気の人なのだが、この先大丈夫だろうか。
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2011年4月26日
志華さんの指導の元(最初の印象よりずっと優しい人だった)
バトルオーラの使い方にようやく慣れて来たところで
澄華さんが帰ってきた。
修行の厳しさでは澄華さん>>>志華さんなだからと
嫌な顔をしていたら頬を引っ張られた…あのバカ狐!
久々にぎゃーぎゃーと騒ぎ合った。こんなのいつからやってなかっただろうか。
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2011年4月27日
今日の修行は休み。
澄華さんが連れてきた子に鎌倉を案内してまわった。
聞けばこの子も、私と同じように両親をダークネスに殺されたらしい。
出来れば私のようになってほしくないというのは身勝手だろうか。
しかし澄華さんによく似ていた。クローンじゃないかと思う位に。
彼女も来年出来る学園に入る予定らしい。
灼熱者だけを集めた施設…どういう所になるんだろう。
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2012年8月10日
明後日、8月12日には学園が開校する。
この家は、しばらくして買い手が付かなければ解体されるという。
志華さんの会社が管理するマンションに移ることになった私にとって、
今晩が鎌倉で過ごす、最後の夜だ。
隣の部屋に住むという大護さんが優しそうな人で助かった、仲良くしていけそうだ。
そういえば去年会った子は元気にしているだろうか。
澄華さんと一緒に海外に行ったきり会っていない。
あの人が一年以上帰ってこないなんて初めてだ。まさかやられたとも思ってないが。
こんな復讐まみれになった私を見て、お父さんは何と言うだろうか。
きっと怒られるだろうな。
あの日、納骨が終わって帰って来た直後に澄華さんから渡されたもの…
数日前から預かっていたという、カメラと、アルバム。
ページを開いてみると、中にはいろんな人の笑っている写真が入っていた。
色んな所で撮り貯めしていたものらしい。
私にこの続きを撮ってくれと伝えるよう、頼まれていたそうだ。
お父さん、自分が殺されるの知ってたんだね。
続きを私に継がせるっていうのはつまり、昔澄華さんが言ったように
ダークネスなんかに関わってほしくなかったからなんでしょう?
けれど私はそこまで割り切れない。憎いものは憎い。
親不孝な娘で、ごめんなさい。
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(日付無し)
どうせ家が解体されるならこの日記帳もここに置いて行こうと思う。
これを持っていると、昔の懐かしい記憶がどうしても蘇ってきて
これからの戦いに、きっと支障が出る。
あのアルバムの中の人達のように、また笑えるようになったら
この続きを新しい日記帳に付けていこう。
だから、さようなら。昔の私。
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志華:…終わったかしら?
それじゃ、その日記は元の所に戻しておいてあげて。
まだ執筆途中みたいだし、戻ってくるまでは保存しておいてあげないと。
何でって、新しいものじゃなくてそれに書かせればいいでしょう?
どんなに辛くても、それはあの子の生きてきた証よ、
捨てていいものじゃないと、少なくとも私はそう思うの。
全く、この家自体の維持費もバカにならないってのに
何やってるのかしらね私は。
裏方は辛いわ…。